『森のようちえん』について誤解していたこと

こんにちは。ひとのもりのウォトです。

森のようちえんの講習会にでたり、インターンに行ったりして、森のようちえんというものについて「誤解していたなー」とか、「そうだったのか」と感じることがいくつかあったので少しまとめてみます。

“森”じゃないといけない

「森のようちえん」ってすっごくいいネーミングだと思うんです。
すごくキャッチーだし、言葉のイメージも良い。「森のようちえんやります!」って言うとすごく楽しそうなことを始めるんだなって雰囲気で伝わるし。笑

ただ、すんなり入ってくる言葉だけに、イメージ先行で誤解されやすいことがいくつかある。

そのひとつが、”森”というワード。

森のようちえん、実は”森”じゃなくてもいい。笑

じゃあ”森”って何を指してるのということですけど、言い換えると、身近にある(自然)環境みたいなことかな。

もう少し具体的に言うと、森はもちろん、山、川、海、田んぼ、畑、自然公園、都市部では都市公園なんかも入ってる。

そういった自然環境を象徴して”森”という言葉を使っている。

なので、都市部のいわゆる森がない場所でも森のようちえんはできるということです。

森のようちえんなのに、「森がないじゃないか!」とか、「これは山じゃないか!」というクレームは受け付けません。笑

毎日外に出なきゃいけない

森のようちえんを紹介するときに、雨が降ってる中でカッパを着て、水遊びをしている映像がよくでます。

そんな印象から、雨が降っても、雪が降っても、槍が降っても外にでます、みたいなイメージをもちます。保育者や保護者にも森のようちえんはそうであるべきという雰囲気があると聞きます。

でも実際は、必ずしも外に出なきゃいけないわけではないんです。

もちろん、雨の日でも外に出て活動するときもありますが、拠点としている施設に入って、屋根の下だからできる活動をする日もあります。

晴耕雨読。暮らしとおんなじスタイルです。

実は、雨より雪より、風が強い日が一番しんどいという実践者の声もあったり。

プログラムを用意しちゃいけない

これは保育者側の意識の話です。

森のようちえんは、こどものありのままの姿(=主体的な活動)を見守る保育を軸としています。

なので、こちらから活動のプログラムを提供するのはよくないという意識があります。

しかし、大切なのは、こどもが主体的に遊びに取り組んでいるという姿です。

こどもが受動的になってしまうプログラムはよくないですが、こどもの世界や興味をとっかかりに、遊びを発展させてあげることや、製作や表現につなげてこどもの発達に寄与させてあげることは、なんら不自然なことではないということです。

そこでのこどもが主体的に動いているかどうかは、現場の保育者の腕次第というところでしょうか。笑

あと、そもそもこどもを森に連れ出しているという状況自体が、保護者や保育者の意図が入ってますよね。っていう捉え方もあります。どんなに大人の意識を排除しようとしても、すでに森のようちえんというプログラムの下です。そこは諦めましょう。笑

森のようちえんって言葉の柔らかさに反して結構とんがってる幼児教育のひとつだと思うんです。笑

でも、実は状況に合わせて変化させられる柔軟さもある構成なので、あまり頭をカタくせず、柔らかい発想で、自分たちの保育スタイルをつくりあげていきたいですね。

以上。ウォトでした。
それが、”森のようちえん”という名前じゃなくなっても。