ひとのもり構想の物語をつむぐ

たまに、ひとに見られることを意識しすぎて、完璧にしようとして、逆に手が止まってしまう現象に陥るんだけど、まさにそうなっていた【ひとのもり構想】の下書き記事が出てきたので投下。
 
日付を見ると、もう1年前、初めての森のようちえん指導者講習会へ行った後すぐくらいだろうか。改めて読むとちょっと気恥ずかしい言い回しが多いけど、考えは変わってない。
 
もっといろんな物語を考えたい。
 
ーーーーーーーーーーーーーーー
ひとのもり構想 | 2016/6/9
ーーーーーーーーーーーーーーー
 
まちに森のようちえんをつくります。
 
つくると言っても森のようちえんには、園舎がありません。森が園舎であり、園庭であり、遊具であり、ベッドです。「もり」と「ひと」それらがこのようちえんを形作っているのです。
森のようちえんを中心にさまざまなつながりがうまれます。
 
まずは、こどもと保護者、そして保育者。森のようちえんの中心となるひとたちです。
 
保育者はこどもと遊ぶ人ではありません。こどもを見守る人です。こどもたちは森という素材を使って自分たちで遊んでいきます。
 
保育者がかける言葉はこうです。
「あなたはどう思うの?あなたが決めなさい。」
こどもは自分と会話し、自分で行動を選択していくのです。
 
保護者と保育者はこどもを見守るパートナーです。保育サービスを受ける人、提供する人ではありません。情報を提供したり、きづきを共有したり、ともに活動したり、こどものために協力しあえる関係になります。
森のようちえんには、「なんでも」はありません。いろいろなものが「ない」のです。しかし、それはさまざまな立場の人が参加し得るちょうどいいスキマになります。
 
いちばんに入ってくるのは、やはり地域で自然とともに暮らしているひとたちでしょう。こどもたちに田んぼや畑を貸してくださる農家の方、といえばイメージしやすいでしょうか。
森はいろんな木の実や山菜がとれますが、身近な野菜やお米を育てようと思うと、やはり農家さんの協力をお願いしたいものです。
 
森の中に小さい畑を作ってもいいし、農家さんの田んぼにおじゃまして、めいっぱい泥にまみれながら田植えを楽しんでもいいでしょう。
 
そして、収穫し、自分たちで調理し、美味しくいただく。こどもたちは自分が育てたものを食べるという貴重な体験ができます。しかも楽しみながら。
 
森のようちえんにスキマがあり、そこに農家の人が入ってきてくれたから起きるできごとですね。
 
森のようちえんのスキマに農家の人が入ってくれました。こどもたちは、食べることの楽しさを知ることができたでしょう。
 
しかし、ここで忘れて欲しくないのは、おとなも農家の人とつながることです。ようちえんのイベントとなれば、お父さんやお母さんも、長靴を履いてこどもと一緒に泥まみれになること間違いなしです。
 
こどもと一緒に育てたお米。顔の見える農家の人が作ったお米。地元で育ったお米です。Amazonで買い、宅急便で運ばれてきた無洗米より格段に美味しく感じることでしょう。
 
本当に美味しいものを体験するのはこどもだけではないのです。おとなもおなじく美味しい体験をすること、これが意外に大事だったりします。
 
さらに、おとなの場合「買う」という行為によって、引き続きその農家を応援していくこともできます。それがまた、次のこどもたちの体験を支えるものとなるのです。
森のようちえんのスキマ。いろんなひとが入ってきます。
 
普段の生活には入りにくいひとたちも気軽に入ることができます。
アーティスト。こう呼ばれるひとたちは、ものごとをいろんな角度から見ることができるひとたちです。黒を白だ!といっているひとではありません。黒が白く見える角度をしっているひとなのです。
 
このひとたちは、こどもととても相性がいい。しかも、森はこういうひとを受け入れるのがすごく得意だ。
 
こどもの日常から非日常を演出してくれる。こどもの世界をさらに広げてくれるとても刺激的なひとたちだ。
 
でもその場で一番感動するのは、やっぱりおとな。その場にいる保育士も保護者も、こどもの可能性、森の可能性に改めてはっとするだろう。
 
ーーーーーーーーーーーーーーー
 
っと、ここで終わっている。
さて、続きを描こう。
 
ちゃんと公開してたやつもあるます◎